入院する若い世代の苦い体験談をまとめてみました。

若い世代の入院
コロナでの入院する若者もいるはず、入院の心得と経験者の失敗談。

01 3月

Posted in on 01.03.22

学生時代に肺炎になったことがあります。当時、免疫力が低下していました。食べる量が少なかったため、体が弱くなってきてしまっていたのでしょう。そのような時に同じ教室の子がインフルエンザで学校に来ていました。本人はインフルエンザだと知らずに来ていたようです。その子はその日は普通に過ごしていましたが、翌日は学校を休んでいます。同じ教室に免疫力が弱い状態で長時間一緒に過ごしていたため、インフルエンザが移って肺炎になってしまったのでしょう。咳が止まらなくて病院に行ってわかりました。

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病院では血液検査、尿検査、レントゲン撮影などをしました。体力が落ちていたので立つだけで貧血のためにクラっと倒れてしまうので、病院内は車椅子で移動しました。大きな総合病院なので、検査をする際の移動距離が長いのです。車椅子は看護師さんが押してくれました。検査をいろいろしたのですが、体調が悪くてどのような処置をされたのははっきり覚えていません。血液検査をしたときに低血糖だねと言われて、血糖値を上げるためにジュースを飲むように勧められたことは覚えています。

検査が一通り終わってから診察室で結果を聞き、体が危険な状態だからとしっかり治療しましょう、と説明があり即入院になりました。ベッドが空いていたようで、すぐに病棟の方に移ることができました。入院の手続きは、夜になってしまったのですが家族が行ってくれました。妹が来てくれたのですが、雑誌なども買って持って来てくれたのでうれしかったです。

体力が落ちていたのでベッドから動くことを禁止されていました。部屋から出てトイレに行くことも禁止だし、お風呂に入ることも禁止です。そのため、トイレはポータブルトイレを看護師さんが持ってきてくれます。トイレをしたいときには看護師さんを呼ばなければなりません。排せつ物の処理は看護師さんが行います。仕事でやっているから気にならないのかもしれませんが、排泄物を片付ける際に嫌々やっている感じがしなかったことがよかったです。

お風呂は入れないので看護師さんが体を拭いてくれます。体拭き専用の泡を体に広げて、その後に温かいタオルで泡を拭き取ります。きちんと温かいお湯を用意して、拭き取るたびにタオルをお湯に浸して温かくしてくれたことがうれしかったです。足湯もさせてくれて気持ちよかったです。足湯をするときなどに「はいどうぞ」と声をかけてくれる看護師さんもいます。こういったちょっとしたことが入院生活中はうれしく感じました。看護師さんの温かい気持ちが伝わってきました。

入院初日はパジャマがなくて困りました。即入院だったので、入院するための準備ができていなかったのです。入院中に必要なものを家族が家にまで取りに行ってくれたのですが、病院から自宅まで遠かったので、就寝時間までにパジャマは届きませんでした。そのため、浴衣のような検査着を着て眠ることになりました。その検査着が薄いし、足元がすーすーするし、寝返りを打つとよれるし、ベッドに横になっているときに気持ち悪くて眠れませんでした。翌日からは家族が持ってきてくれたパジャマを着ることができました。

トイレに自由に行けないことも困りました。看護師さんを呼べばトイレを部屋に持ってきてくれるのですが、なんだか頼みにくいです。看護師さんに悪いような気がして我慢してしまうことがたびたびありました。我慢しているのはつらい、けれども呼ぶのもためらいがある。長い期間室内でトイレをしていて、気軽にトイレをお願いできないことが困りました。いつでも好きな時にトイレに行くなど、元気な時なら気付かないことも健康だからこそ、と改めて感じさせられました。

08 10月

Posted in on 08.10.21

20歳の時、扁桃炎にかかりました。当時は大学とアルバイトで忙しい上に友人たちとも夜遅くまで遊ぶ日が続いていました。そんな中、喉の痛みを感じるようになっていたのですが、風邪だろうと思って放置していました。喉の痛みを感じるようになって2、3日経った夜、友人と一緒に食事をしていた時、急に食べ物が飲み込めなくなりました。

どんなによく噛んでも食べ物が喉を通らない感じで、水どころか唾もうまく飲み込めなくなってしまいました。そして翌朝、首が横に傾いたまままっすぐに戻せないほどの喉の痛みがあり、さすがにおかしい、絶対に病院へ行くように親や友人にも言われて、しぶしぶ病院へ行くことになりました。

40度近い高熱があり、扁桃腺は腫れて膿がたまり、白くなっている状態でした。先生には「もっと早く受診すべきだった」と叱られ、即入院という流れになりました。治療は抗生物質の点滴と、喉に注射針を刺して膿を抜くというもので、手術には至りませんでした。扁桃腺を除去することを良しとしていない先生だったので、残す方法でじっくり治療をしていく方針でした。

2週間ほど入院しましたが、最初に1週間はとにかく喉の膿を抜くという治療が苦痛でした。麻酔ができないので痛みに耐えなければならず、看護師さんに体を押さえられた状態で口を開け、喉の奥に先生が注射器を挿入して針を刺し、数秒かけて膿を抜いていきます。何もしていなくても喉が腫れて痛いので、そこに針が刺さると耐え難い激痛でした。

耳鼻咽喉科専用の入院病棟がなかったため、なぜか産婦人科の病棟に入院していました。さすがに妊婦さんとは別の病室で、婦人系の病気の方々と同室でした。毎日激痛を伴う治療と点滴でベッドに釘付けの状態でかなりメンタルも参っていたのですが、同室の方たちが話しかけてくれて励ましてくれたのでとても嬉しかったです。私の病室は、手術をしてから状態が落ち着いてきた人たちが移ってくる部屋だったので、もう退院間近の人たちばかりでした。

そんな中、私がいちばん重症っぽい状態だったので、痛みで苦しんでいるときに気づいて看護師さんを呼んでくれたり、売店でアイスクリームを買ってきてくれたりして、本当に親切にしてもらいました。私が歩き回れるようになってからは、産婦人科病棟なので、よく生まれたばかりの赤ちゃんを見に行っていました。病院は人が亡くなる場所でもありますが、産婦人科は赤ちゃんが毎日生まれるので、それを見ていると元気がわきました。産婦人科病棟に入院できたのはラッキーだったかもしれません。

入院から1週間ぐらいは喉の腫れと激痛の治療のせいで声を出すこともできませんでした。そのため、看護師さんに伝えたいことをうまく伝えられないことが本当に困りました。落ち着いている時は筆談でなんとかなりましたが、急を要するときや痛みがひどくて苦しい時は紙に書いている場合ではなく、わかってもらえないもどかしさで本当に辛かったです。結果的に2週間で完治したので、治療期間は短かったですが、毎日喉から膿を抜く治療は3日目あたりで恐怖になって、拒絶反応が出てしまうほどでした。

感情的になって、お見舞いに来てくれた母親や友人に八つ当たりしてしまうこともありました。そんな自分のことが情けなくて、本当に精神的にもへこんでしまいました。それでも、ほぼ毎日病室をのぞきにきてくれた母親や友人は、声が出なくてもしてほしいことをちゃんと汲み取ってくれたので、本当に心配してくれているんだと思って感動しました。言葉で言わなくても、かゆいところに手が届くというか、わかってくれることに常日頃の関係性に対してのありがたみを実感しました。

26 4月

Posted in on 26.04.21

中学生の頃、陸上競技で使う機材を準備中に太ももの裏を刺してしまいました。すぐに水で冷やしましたが血が止まらず、保健室の先生に診てもらいましたがただ単に治療テープを貼ってもらったので、全然治らずどんどんけがした部分が腫れてきました。すぐに水で洗い流したのがよかったのか、傷口にばい菌が入ることなく月日が経つにつれて傷口が自己治癒力によってふさがりました。怪我したところが原因で
走れなくなったということはなかったので不幸中の幸いでした。

病院に行った際にまず担当医の方から言われたのが、なぜこんなけがをしてしまったという事です。正直に言ったところ水で冷やしましたかと聞かれました。その日は治療テープを貼るということで治療は終わりました。治療室を出る際に「痛みや腫れが続くようでしたらまたご来院ください。」と声をかけていただきました。

数日たってから痛みはないのですが腫れてきたので病院に行ったところばい菌が傷口に入っているかもしれませんと言われたのでその日は入院しました。しかし入院と言いながらも先生が行ったのは、少し傷口を切って消毒したという事だけでした。治療中は麻酔をしていたので痛みはありませんでした。ただ、その治療のおかげで今では全く痛みもなく腫れもありません。

入院中にあって驚いたことは治療するときに先生一人で治療をしていたという事です。普通は隣に助手の方がつくと思うのですが担当医の方だけで行っていたので驚きました。その病院の場所も田舎にある病院だったので少し不安になりながらも治療していただきました。そのおかげで今では痛みもなく快適に日常を過ごしています。

治療が終わった後に「陸上競技をしているとお聞きしましたが後遺症が残ることはありませんよ」と優しく声をかけていただいたことです。当時自分は部活動に力を入れており、怪我で後遺症が残ったらどうしようという心配でいっぱいでした。しかし、治療が終わった後に担当の先生が優しく声をかけていただいたときにその心配が一気に吹き飛んでしまいました。

 

今思えばその先生が声をかけてくれたのは私に心配をかけないようにした優しさだったのかなと思いました。それが優しさだったとしてもあの言葉には当時感激しました。スポーツを経験している方ならわかっていただけると思います。

入院中に怖かったことは病院が遠くにあるのでその病院に行くまでに自転車で行く時が怖かったです。学校帰りに行くしかなかったので日が落ちて道路も暗い中で行かなければなりませんでした。ましてや怪我をしている部分が脚だったのでペダルを踏んで自転車を漕いでいるときに車に引かれたらどうしようと思っていました。脚が痛んでうまく自転車を漕げないこともあったのでかなり怖かったというか心配でした。

困ったことは部活動を一時的に行えなかったことです。怪我をしていた初期段階は痛みも腫れもあったので走ることさえできませんでした。毎日練習三昧だったのだから、ゆっくり家で過ごしたり友達とショッピングへ行くなどして楽しめばいいのに、走れなくても毎日部活に顔を出してせっせとマネージャーの手伝いをしていました。時間がたつにつれて痛みが引いていき走れるようになったのですが走れなかった期間のブランクがあるので本調子に戻るまで結構時間がかかってしまいました。

あの頃は純粋で本当に陸上競技に力を入れていたので、もし競技ができなくなったら、記録が落ちてしまったら、と毎日心配で仕方がなかったです。脚の筋肉は落ちますが他の筋肉の部位に比べてかなり早いので、自己記録まで戻すのに相当練習したという事が困ったことです。しかし今となっては人生はうまくいかないという教訓だったと思います。

16 4月

Posted in on 16.04.21

ご飯をあまり食べなかった時期が続き、家でもベッドで寝たきりのような状態でした。氷の入った水を水筒に用意し、主に、水を飲んで過ごしていました。食欲が無かったかと聞かれたら、ありました。ありましたが、胃痛があり結局長い断食となってしまいました。そのような状態が続くと、いつしか、周りの物が歪んで見えるようになりました。やっとご飯を食べようとした時、家族が救急車を呼んで、病院へ行き、病気が発覚しました。

ベッドに寝たまま、栄養を点滴で注入されたかと記憶しています。そこの病院は少し家から遠いので、心細く不安になってしまったのもあり、家から近い病院に転院しました。そこで、そのまま入院ということになりました。固形のものはまだ食べては良くないそうで、スポーツ飲料や、重湯、ほとんど具の無い味噌汁や柔らかい味のあまりないおひたしなどを食していたと思います。

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食べられなかった原因は「十二指腸潰瘍」と診断されました。また、視界の歪みについては「眼球振盪」ということでした。その時には、視界は、縦揺れに激しく動き、人の顔も、物もよく見えず、きちんとわかり兼ねるほどでした。定期的に血液検査や体重測定、点滴での栄養摂取が行われました。血液検査の結果が良ければ、徐々に固形物の病院食となって量も増えて行きました。栄養不足を補う食事や、ビタミン剤などの飲み薬、筋肉低下による筋肉痛などで湿布薬が処方されました。

四人部屋の大部屋に入院していましたが、誰とも話すことはありませんでした。他の人達は、仕切りのカーテンをある程度は開けていてオープンのようでしたが、元々の性格が内向的なため、一日中カーテンも閉めっぱなしでした。しかし、向かいのおばあさんが見舞客との会話から、おばあさんの娘さんの名前と、母の同級生の名前が同じだと知りました。

また、住んでいる場所も母の同級生ととても近い場所であったため、ある日、母がおばあさんの元へ話し掛けに行きました。すると、娘さんと同級生は、同姓同名の他人だとわかりました。しかし、そこから私もおばあさんと仲良くなり、話すようになりました。その輪が広がり、この大部屋の皆さんと仲良くなることができました。

夏だったので、夏らしく、売店からアイスを買ってきて、皆で食べたりもしました。モナカのアイスで、皆、1つは食べきれないかも知れないと言うことで、2つ買ってきて、それぞれ、半分こして食べました。ちなみに、お金は折半しました。代表して、私が売店に赴いたのですが、5円か10円多く払ったおばあさんがいました。「返金しなくていい、わざわざ買ってきてくれた分の駄賃」と言ってくれました。

入院中に困ったことは、脂肪が無くなり、次に筋肉も無くなってきていたので、歩くこともきちんとできなかったことです。入院中、暇なので歩きたかったのですが、歩くことができなかったので、難儀だったと思います。歩く練習をリハビリでしていましたが、眼振がきつくて、なかなかまっすぐ歩くことができづらかったです。

また、なんと言っても、身体を起こしていることもきつかったので、それは困りました。すぐに身体や首などが痛くなり、ベッドで痛みをこらえるような感じでした。ある日、主治医の先生が、私がうつ伏せで痛みに完敗しているような状態でいるのを発見して下さいました。そのお陰で、湿布薬を処方して頂けて、とても嬉しかったです。

更に、家族に、塗るタイプの筋肉痛治療薬をドラッグストアで買ってきてもらいました。それを塗ると、スッとして筋肉痛も和らいでいくようで感動してはしゃいでいたのを覚えています。単純なことかも知れませんが、入院生活で困っていたことが1つ解決できたような気がして、喜ばしかったです。